聖書からのメッセージ

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 『 主はよみがえられた 』  ヨハネによる福音書20:1〜18  

 主の復活を記念する朝を迎えました。この日マグダラのマリアと弟子たち、そしてトマスが出会ったように、わたしたちも復活の主と出会い、限りない希望へと導かれたいと思います。

 今、マグダラのマリアに思いを向けましょう。1節に「週の初めの日、朝早く、まだ暗いうちに、マグダラのマリアは墓に行った。そして、墓から石が取りのけてあるのを見た」とあります。イエスの埋葬の際、安息日が迫っていた関係で、彼女は納得ゆくまで亡骸を整えることができませんでした。深い悲しみと、まだなすべきことが残されているという思いが、彼女をこんなにも早い時間に墓に向かわせたのでしょう。

 驚くべきことに、このとき彼女が目撃したものは、墓の入り口をふさいでいるはずの大きな石が取り除かれていたという事実でした。これには一つの象徴的な意味合いがこめられています。すなわち墓の向こう側と墓のこちら側とを隔てている壁が、今や取り除かれたのだということです。そうです。神の御支配は死せる者の世界(陰府)にまで及びました。

 ところが11節に「マリアは墓の外に立って泣いていた」とありますように、依然として彼女は悲しみの淵にあり、涙するばかりであったことが分かります。彼女にとってイエスは依然として死の彼方の存在でありました。

 しかし彼女のその涙の先に、大いなる光が差し込みます。「婦人よ、なぜ泣いているのか。だれを捜しているのか(15節)」との復活の主のお言葉がそれです。「だれを捜しているのか」この極めて直接的な問いは、彼女だけでなくそのままわたしたちにも差し向けられています。マリアはその後の対話を経て「わたしは主を見ました」(18節)との信仰の告白へと導かれました。

 そうです。この方こそ、わたしたちの一切の罪を負い、贖いの死を遂げ、死に勝利して復活し、天にあげられてすべてのものの主となられた方にほかなりません。イエスはよみがえられました。死の壁は取り除かれたのです。復活の主はわたしたちにも「なぜ泣いているのか。だれを捜しているのか」と語りかけてくださいます。ここにわたしたちの揺るがない希望があります。 
  (札幌琴似教会牧師 久野真一郎)
 
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 十二人の一人でディディモと呼ばれるトマスは、イエスが来られたとき、彼らと一緒にいなかった。 そこで、ほかの弟子たちが、「わたしたちは主を見た」と言うと、トマスは言った。「あの方の手に釘の跡を見、この指を釘跡に入れてみなければ、また、この手をそのわき腹に入れてみなければ、わたしは決して信じない。」 さて八日の後、弟子たちはまた家の中におり、トマスも一緒にいた。戸にはみな鍵がかけてあったのに、イエスが来て真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。 それから、トマスに言われた。「あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。また、あなたの手を伸ばし、わたしのわき腹に入れなさい。信じない者ではなく、信じる者になりなさい。」 トマスは答えて、「わたしの主、わたしの神よ」と言った。(ヨハネによる福音書20章24節〜28節)      
  「信じる者になりなさい」
ヨハネによる福音書の最後にトマスという人が登場します。彼は他の弟子たちから「わたしたちは主を見た」と聞いたとき、自分の目でその証拠を確かめるまでは信じられないと言った人としてよく知られています。そのトマスの身に、何が起こったのでしょうか。
 トマスは「あの方の手に釘の跡を見、この指を釘跡に入れてみなければ…わたしは決して信じない(25節)」と申しました。しかし、このとき主イエスは、彼の心の底に何があるのかを見ておられたのです。主はこう言われます。「あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。また、あなたの手を伸ばし、わたしのわき腹に入れなさい。信じない者ではなく、信じる者になりなさい(27節)」と。 このときトマスは、自分の心の底にある醜さ、そして罪の闇に捕らえられている自分を思い知らされると共に、主イエスが変わることのない愛をもって強く迫ってくださったのだと知ることができました。そうです。「信じない者ではなく、信じる者になりなさい!」とのみ声が、彼の堅い心の壁を打ち砕き、見て信じる者から見ないで信じる者へと変えられたのです。
 彼はついに「わたしの主、わたしの神よ(28節)」と、心からの信仰を言い表します。他の弟子より遅れてやってきた彼でしたが、主イエスの変わることのない愛と真実に捉えられたのです。主イエスは、心に戸惑いやおそれを抱え持っているわたしたちにも、「信じる者になりなさい」と語りかけてくださいます。トマスに続くわたしたちでありたいものです。 
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2019年1-2月 

  「求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。だれでも、求める者は受け、探す者は見つけ、門をたたく者には開かれる。」         (マタイ7章7〜8節)  
「求めなさい。そうすれば、与えられる…」これは、わたしたちが主イエスの御名によって神に祈り求めるならば、必ず応えてくださるとの約束の御言葉です。けれどもその意味は、祈りを重ねればどのような願いでもそのまま叶えられるということではありません。どんなに祈っても聞かれない…ということがあるでしょう。確かに苦しいことです。祈りは聞かれていないのでしょうか。

 いいえ、祈りは聞かれています。それが神への深い信頼に支えられた願いであるならば、その祈りは聞かれているのだということを、この御言葉は教えているのです。またこの御言葉は、神が最善の道を備えてくださることを信じて祈ることを求めています。主イエス御自身、十字架を前にして「父よ、できることなら、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの願い通りではなく、御心のままに(26章39節)。」と祈られました。
 わたしたちの人生には喜びのときも悲しみのときもあります。けれどもその一つ一つに神の御心が置かれていることに信頼して、祈りをささげるわたしたちでありたいと思います。「そうすれば、与えられる。…そうすれば、見つかる。…そうすれば、開かれる」との約束を信じて…。
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日本キリスト教会札幌琴似教会

〒063−0842 札幌市西区八軒2条西1丁目3−1
牧師 久野真一郎

伝道開始 1930年  教会創立 1949年7月24日