教会紹介
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年間主題 『終末の希望に生きる民の形成』

主題聖句 「万物の終わりが迫っています。だから、思慮深くふるまい、身を慎んで、よく祈りなさい。」
               (ペトロの手紙T4章7節)

                
  ご挨拶
 

このページを読んでくださってありがとうございます

皆さんの中には、教会に行ってみたい、行ってみようと思ったことがある人がきっとおられることでしょう。きっかけはいろいろだと思いますが、ぜひその思いを大切にしてください。教会の戸をたたくとき、そこには目に見えない神さまの導きがあるからです。

教会では日曜日に礼拝をささげています。礼拝では共に讃美歌を歌い、祈りをささげ、聖書の言葉を聴き、説教に耳を傾け、感謝のしるし(献金)をささげ、祝福を受けます。そして一週間の生活へと遣わされていきます。そしてまた礼拝へと向かうのです。

聖書の中に「あなたのみ言葉は、わたしの道の光、わたしの歩みを照らす灯(ともしび)」という言葉があります(詩編119編105節)。また出エジプトで知られているモーセという人は「わたしは必ずあなたと共にいる」と言われた神さまの約束の言葉によって生涯支えられました(出エジプト記3章12節)。さらに使徒パウロという人は「わたしの主キリスト・イエスを知ることのあまりのすばらしさ」と申しました(フィリピの信徒への手紙3章8節)

わたしたちの人生には弱さが隠れています。思うにまかせないとき、挫折や孤独を感じるときがあるのではないでしょうか。しかし「わたしには望みがない」と言わないでください。神さまはあなたと共にいてくださいます。神さまはわたしたちが弱いときに、最も大きな恵みを臨ませてくださるのです。

教会はどんな人にも開かれています。もちろん初めての方も大丈夫です。ぜひあなたも教会の戸をたたいてください。心からおいでをお待ちしています。


牧師プロフィール
1945年、新潟県長岡市で生まれる。
敗戦とともに父の務めの関係で福岡県糟屋郡志免町に転居し、福岡大学経済学部卒業まで過ごす。
   
1973年日本キリスト教会神学校を卒業、福岡筑紫野伝道所(福岡市南区)に赴任する。1975年に九州中会において教師の任職を受ける。   
その後志免教会、栃木教会(栃木市)を経て、2006年4月に札幌琴似教会牧師となり現在に至る。
 
趣味は音楽や美術鑑賞など。それから趣味とは言えないかも知れませんが仕事上パソコンとは20年ほどつきあってきました。今は画像や映像の利用に関心があります。



                
 教会の歴史
 
 札幌琴似教会は安孫子孝次、八重夫婦の営む家庭を中心としたいわば家の教会として出発した。同氏が琴似にあった北海道農事試験場の場長の職にあった時その官舎で札幌北一条教会(小野村林蔵牧師)の家庭集会(聖書研究会)が定期的に行われるようになり(1930年)やがてこの集まりが教会へと発展していったのである。家中心の伝道活動が独立教会へと結実したのは北海道ではおそらく第二次大戦後では初めてのことであり、この意味において、家の教会の典型をわが札幌琴似教会に見ることができる。
 その当時の様子を、札幌琴似教会の「教会30年誌」を参考に以下に振り返ってみよう。
 

 琴似教会の起こりは、1930年(昭和5年)安孫子孝次が北海道農事試験場長の時、その官舎で札幌北一条教会小野村林蔵牧師の指導の下に開かれた聖書研究に溯る。

 この集会を開くべく孝次・八重夫妻の伝道の熱意を促したのは、当時北大(※北海道大学)予科性だった長男孝一の熱心な提案だったという。農事試験場とその官舎は、国鉄琴似駅の北数百メートルのところ鉄道線路の東北に広々と建てられていて、場長官舎周辺に住む官舎の信者、試験場の実習生、練習生がこの集会に出席した。会は毎月第2・第4木曜日に開かれ、小野村牧師は婦人伝道師の住吉ます(のちに吉沢の姓になる)を、後には婦人伝道師五十嵐とくを伴って来られた。

 1940年(昭和15年)春、安孫子氏が農事試験場を去り、その翌年末には第二次大戦が勃発したのでこの集会は一時中止せざるを得なくなった。

 しかし終戦後、1946年(昭和21年)2月から琴似町八軒の安孫子宅の応接室を会場とし、北一条教会の伝道所として再び聖書研究会が開かれた。この時は専ら副牧師上泉浩が五十嵐伝道師と共に毎週火曜日午後7時から出席、伝道に当たり、また南義子牧師(元桑園教会牧師)も度々応援した。当時日本はアメリカの占領下にあり、まさにアメリカブームの時であった為か、一般の人々の中にもキリスト教に心を寄せる者が多く、毎回の集会出席は30乃至40名に達した。

 その後昭和23年の夏、米人宣教師チャップマン(G.K.Chapman)が開拓伝道を目的として来札し、三好新蔵牧師(のち1964年9月より1975年11月まで当教会牧師を勤めた)と共に伝道することになり、琴似の伝道はこの両氏に引き継がれた。集会は毎週火曜日午後7時より専ら三好牧師の指導の下に開かれた。
 

小野村林蔵牧師


安孫子孝次・八重夫妻



安孫子宅での集会
日曜学校は1948年(昭和23年)4月から土曜日午後に池田多郎治・テル夫妻の家庭で開かれていた。この土曜学校は60〜70名の生徒が集まり,座敷の床が抜けるほど盛況であった。このように土曜学校が活況を呈したことは,先の安孫子宅における定期集会に集まって来る人達の教会設立の熱意を一層盛り上げたのであった。

 こうして会堂の建築資金を集めるためにまず献金箱を会場の柱に掛けたのであった。その後、安孫子家の茶の間と台所を合わせて10坪乃部屋を提供しようとの申し出が安孫子氏からあり、それならばこの二部屋を改造して仮会堂にしようと衆議が纏まったのである。なおこの二室は安孫子氏の邸宅の中心をなす部分で、先代倫彦老が琴似屯田兵として1987年(明治20年)に建てたものであった。

三好新蔵牧師



 仮会堂造りの費用を得るためバザーを計画したが、三好牧師の提案によってアメリカの中古衣料品を入手して実施することになった。当時は戦後尚日浅く、物資が甚だしく欠乏していた頃で衣料も容易に得がたい頃であった。そこでその買入にはドルを必要とするので、北星学園の米人教師に依頼して円をドルに交換して貰うことにしたが、ドルの持ち合わせがないとのことでこの計画は実行できないで終わった。しかし間もなく安孫子宅で開かれた北星の同窓会に出席した米人教師エヴァンスならびにシュミット両名から、ドルの代わりに現物を提供しようとの申出があり、多量の衣料品・靴・また当時入手困難だった結核の特効薬ストレプトマイシンなどの寄贈を受けた。これらの物資と伝道会に出ていた婦人達が売り捌いて約12万円の収入を得た。この他、伝道会の席上献金や日曜学校父兄の献金(日曜学校は既に1948年から池田太郎治宅で毎土曜日開かれていた)等が約8千円に達していたので、これらを資金として前述の二部屋(10坪)の改造を行ったのである。屯田時代の建物で既に60年余りの歳月を経たこれらの部屋は、炉で木を燃した名残を止め、天井も壁も真っ黒に煤けており、その清掃には青年男女、日曜学校教師及びその中等科生徒達が、顔もシャツも真っ黒にして労働奉仕したのであった。
 
教会建堂式の記念写真(1949・7・24  安孫子宅の庭にて) 


 このようにして1949年(昭和24年)7月24日午後2時から、三好牧師司式の下に建堂式を挙行した。信者・求道者・来賓合わせて72名、まことに感謝と感激をもって式を終えたのである。この建堂式を挙げた7月24日は琴似教会(この時点では未だ正式な名称は決まっていなかった)の創立記念日と定められた。
  


これ以降の歴史については、主な内容のみ記載します。
細川慶次牧師任職(1951.7.1)
 1951年には専任牧師として細川慶次牧師を迎えることが決まり、7月1日に牧師任職式が執り行われた。

日本基督教会入会(1953.3.5)
 1951年には旧日本基督教会が結束して日本基督教団を離脱し、「日本基督教会」(現在の日本キリスト教会)を創立した。琴似教会は創立間もないことからすぐに入会することを見合わせていたが、度重なる協議を経て、日本基督教会に入会することとなった。

会堂新築(1953.9.20)
 教会はそれまで安孫子孝次・八重夫妻の家屋を教会として使っていたが、献金やバザーなどにより資金を集め、ついに念願の教会堂を建築することができた。

琴似教会幼稚園設立(1954.4.12)
 地域社会への奉仕を目的として、幼稚園を設立。5歳児、4歳児共にひとクラスずつ計65名の園児と4名の教諭とで始められた。初代の園長には安孫子孝次長老が就任した。

細川慶次牧師



伝道師として高橋恒夫教師試補が赴任する。(1958.3)
教会創立10周年記念礼拝(1959.7.26)
 教会創立時代に活躍した三好新蔵牧師の説教で記念礼拝が行われた。
夕礼拝には「原子力時代と人間の救い」と題して三好牧師による特別伝道礼拝が行われた。
幼稚園園舎献堂式(1960.8.7)
河田一雄牧師赴任(1960.9.25)
細川慶次牧師辞任(1964.3)
河田一雄牧師辞任(1964.7)

三好新蔵牧師就職式(1960.9.20)

牧師館新築(1966.9)
「ことに教会だより」を発行(1968.12)
 この「ことに教会だより」は定期的に発行され、一時途絶えたが現在も発行され続けている。

教会創立20周年(1969)

 記念伝道会として、5月と8月に計5日間にわたって特別伝道会が開かれたほか、山の手・八軒・手稲山口でも家庭を解放しての伝道集会が開かれた。
 又、20周年記念事業として会堂の増築が行われた。

特別伝道集会の看板が掲げられた教会
教会墓地建設(1975.6)
 
三好新蔵牧師辞任(1975.11)
 

斎藤義信牧師就職式(1975.12.28)

教会創立30周年記念礼拝(1979.6.3)
 教会前のポプラの木は、教会の30年の歩みを象徴するかのように幹も太く大きくなって、天を仰いでいる。
 しかし、構造や機能の面から新しい建物が必要となってきており、1978年の総会で5年後をめどに会堂を建築すること、又幼稚園の安定した経営のために学校法人化を目指すことをが決議された。そのためこのポプラの前での記念写真はこれが最後となった。
会堂新築・感謝会(1982.10.31)
 現在の会堂が建てられた。旧会堂では礼拝堂を保育室としても使用していたが、1階が幼稚園、2階が教会となり、環境が整えられた。この年、幼稚園は教会付属から独立して学校法人となる。初代理事長には有馬純長老が就任した。

献堂式で説教をする斎藤義信牧師
新牧師館完成(1983秋)
教会創立40周年記念礼拝(1989.7.2)
札幌手稲前田伝道所開設(1990.4.29)

 教会創立40周年の記念事業として開設される。その後、北海道中会所属の伝道所となる。
パイプオルガン設置(1997.2)
教会創立50周年記念礼拝(1999.7.18)
斎藤義信牧師辞任(2003.3) 
久野真一郎牧師就職式(2006.4.23)
教会創立60周年記念事業(2009.6月〜11月)
      

日本キリスト教会札幌琴似教会

〒063−0842 札幌市西区八軒2条西1丁目3−1
牧師 久野真一郎

伝道開始 1930年  教会創立 1949年7月24日